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北海道地震で変わる人生観

  • 公開日:2018年9月11日
  • 最終更新日:2019年12月6日
  • カテゴリ:

北海道地震のあった9月6日より5日経ちました。厳しい状況の中でもその時の気持ちは残しておきたいと考え、iPhoneのメモ帳に書き溜めておいたものを記事にまとめたいと思います。

ヤマダソウイチロウ(@sou16ooo)です。本日もお読み頂きありがとうございます!



2018年9月6日3:08

妻の悲鳴で目が覚めた私は、揺れていた天井の照明の激しさを見て、いつもの地震と様子が違うことに気づく。遅れて鳴り響く地震アラームの中、揺れが激しくなりいつになったら収まるのだろうという恐怖感さえ覚えた。

しかも私が住んでいるのは、マンション上層階なので揺れも相当だったはず。しばらくすると揺れがおさまり、少しの間放心状態に。。。。

ふと窓を見ると隣のコンビニも真っ暗。電気もつかないので停電ということは認識できた。

寝室とは反対側にある仕事部屋へ移動し、ベランダから都心部をみると街の殆どが停電になっているという驚きの光景。これは今までにない非常事態が起こったというのは感覚だけでもわかるほど。

とりあえずこんな時はTwitterを見てみる。

タイムライン見てすぐにわかったのは、北海道に大きな地震が起こった事と、停電の復旧の見込みはないという事。

気づけば地震から30分以上経過していて、近所の人たちも外に出て集まっている様子。私たちもとりあえず着替えて外に出てみるが周囲は暗く、長い一日の始まりのような気がした。

そんな中、愛犬であり老犬のミニチュアシュナウザー二匹は普通に寝ていたw 恐怖で震える場合が多いのに、ぐっすり寝ていてくれたので老犬で良かったと思ってしまった。

何が起こってもいいように、愛犬二匹はその中に避難させる。エレベーターは当然使用できないので抱えながら階段での移動。

あと一時間くらい経てば明るくなるので、行動できるのはそれからだと思っていると、友人から無事かどうか確認のLINEが届く。励ましあうだけでも元気が出た。

電気と水道を失う

ただ待っているのではなく今できることをやろうと思い、マンションの水道は電気で汲み上げているらしく、水道も止まっているためまずは飲水や食料の確保からと考え、隣のコンビニへ。

暗闇の店内の中、すでに5組程度がレジに並んでいる状態。

暗闇の中でライトを照らしながらたった一人でレジを打っている男の子に頭が下がった。仕事とはいえ彼も被災者であることは確かなのに懸命に仕事をしている。

おにぎりなどすぐに食べられ物や電池・充電器などはすぐに売り切れて状態でしたが、とりあえず残っていた煮玉子おにぎりを2個カゴに入れ、カップラーメンやパンなど思いつくものだけ買ってみることにした。

もちろんクレジットカードは使えない。キャッシュレス時代に停電時のもろさを感じた瞬間でもある。電気が使えなくなるだけで、予想以上の不安になるということを初めて実感する。

こんな非常時に何をしたらよいかもわからず、自然に対して無力な自分を感じながら明るくなるのを待った。

大地震や台風など、これまで何度もニュースや映像で見てきているのに、どこか他人事でいた情けない自分に初めて気づく。。。

北海道地震より3時間経過のAM6:00

周囲も完全に明るくなり、自転車で近所の状況確認もかねてコンビニ周りをしてみる。

まず最初に行ったのがファミマ。すぐに閉店したようで、店内にはたくさんの商品があるが購入できない様子。

次に行ったのがセブンイレブン。こちらは営業していて店の外周を一周するほどの大行列。すぐに売り切れるのはやはりスマホ充電関連とすぐに食べられるもの。

ガソリンスタンドにも行ってみたが、緊急車両を優先するということで一般の人は購入できないとのこと。

ライフラインの確保

電気の復旧がいつになるかわからないので、3日や1週間の間電気が使えない可能性も考えられる。そうなると夜は暗闇の中、トイレは水が流せない状態になるので、体力のあるうちに水の確保だけでもしようと考えた。

そんなとき近所の方が、散水用の水道を貸してくたので、バケツに水を汲みトイレ用の水は確保できた。飲水もとりあえずは困ることはない。

あとは電力。常にTwitterを見ていても無駄に電力を使うだけなので、ラジをが欲しいところだが残念ながらウチにはない。

あるのはポーターブルバッテリーに入っている50%の電力と、MacBookProの100%の電力。車には1/2程度の燃料は入っているので充電は可能が、いつまで続くかわからない中では無駄にはできない。

妻の実家へ避難

妻の実家は一戸建てのため水道とガスは使えるので、電気が復旧するまでの間避難することになった。すぐに荷物をまとめて実家へ避難する。

実家は西野エリアなのだが、このあたりはドコモの電波も圏外、インターネットのつながらない状態。外からの情報はラジオのみのとなり、これまで積み上げてきたテクノロジーが通用しない空間になった。インターネットが使えずTwitterを閲覧できないだけで、ものすごい恐怖に感じる。

とにかく家族の安全とライフラインを確保するだけを考えよう。

暗闇の中で一夜を過ごす

日の入りは18:05ということで、暗くなる前に食事を済ませる。ありがたいことに食材はかなり豊富にあるが、冷蔵庫が使えない状態になっているので早く食材を使い切らなくてはいけないという贅沢な状況に。

こんな状況でも、いつもと変わらない食事ができることにとても感謝しました。もしも、あのまま自宅で待機していたら結構悲惨な状態だったかもしれません。おそらく車中泊していたでしょう。

とても長い一日だったので、20:00には寝ていて朝まで熟睡でした。

北海道地震の翌日9月7日

4:00頃に起床。ここまででわかっているのは、今回の北海道地震の震源地が厚真町で、清田区が液状化現象で建物が倒壊しているということ。最初は震度6強と伝えられていたが実際には震度7。。。新聞で見る厚真町の山肌は震え上がるほどの状態でした。

ひとまず自宅の状況が気になるので車で戻ることに。昨日ほどの大きな揺れもなかったことと、あらかじめ棚の食器類や、高いところのものを床に移動しておいたので、問題はありませんでした。空き巣にも入られた形跡はないですし。

自転車で様子を見る

それから自転車へ乗り換えて、近所の様子を見ることに。行きつけのロイヤルホストは休業していたが、裏にあるラーメン店の山頭火は店内に電気がついている。聞くところによると、山頭火と隣の幼稚園だけは停電がなかったそうです。

次に知人のジェラート屋さんの様子を見に旭ヶ丘エリアへ行ってみた。たまたま知人の店主に会うことができて、朝の5時頃には電気が復旧したそう。冷凍庫も26時間通電していなかったから諦めていただけどジェラートも無事で良かったです。

最後に円山公園駅にあるセブンイレブンも電気が復旧していて、近くの住人に聞いてみると夜中の3時には復旧していたとのこと。ドコモのWi-Fiも使用でき久しぶりのインターネットへ接続できた。

18:30頃に電気が復旧

二日目の長い夜が始まり、リビングで灯油ランプの明かりの中、新聞を隅々まで丁寧に読んでいると外出していた妻の父が帰ってきて「復旧したぞ」という嬉しいニュース。

外を見てみるとすでに街灯もつき、ほとんどの家で明かりがついていた。何も知らず30分程度は暗闇で過ごしていたと思う。。。

念のため自宅へ行ってみる

信号も完全に復旧しているようなので、自宅の様子を見に戻ってみた。宮の森も問題なく復旧していて、私のマンションも明かりがついている部屋もあった。

オートロックは復旧していたが、エレベーターはランプが点灯していないので、階段で部屋まで向かってみる。部屋のブレーカーを上げてみると暗闇の中で寝室の電気スタンドだけが点灯したので、前日の生々しい風景を思い出した。

特に問題もないが、エレベーターが使えないのであれば、生活するのは困難なので実家に戻る。

北海道地震から2日後の9月8日

妻の実家での生活にも慣れ疲れも取れたせいか、夜中の1時くらいから目が覚めてそのまま朝を迎えた。何もしていないので、寝不足でも大丈夫なのだが、やはり地震が気になって眠れなかったのかもしれない。

8:00頃に妻と愛犬に引きを連れ、もう一度自宅に戻ってみるがエレベーターは変わらず停電中。愛犬を抱えながら階段を登る。。。

エレベーターの状況を知りたく、管理会社に電話をかけてみるが電話に出ない。仕方がないのでエレベーターに記載されている電話番号にかけてみると、停まっている状況は知らされていないということなので、管理会社からの連絡はないということがわかる。

復旧作業に順番に回っているため、いつ対応できるか未定だが復旧次第連絡をくれるということになった。これで本日も妻の実家にお世話になること決定。妻の実家は落ち着くので何日いても良いのだが、おそらく両親が落ち着かないと思うので申し訳ないです。。。

夕ご飯はたこ焼きパーティーをやりました。ちょっとだけいつもの日常に戻った感じがしますw

19:00頃にエレベーターの会社から復旧の連絡が来たので、これで通常の生活ができる様になりました。明日には自宅に戻ることが出来ます。

北海道地震から3日後の9月9日

午後になり3日ぶりの帰宅。

昨日の夜にエレベーターが利用できるようになったためやっと自宅に帰る。久しぶりの自宅はやはり落ち着くのだけれども、ふとした瞬間に地震を思い出すと完全には落ち着かない感覚も残っている。

北海道地震から4日後の9月10日

夜に一度軽い揺れを感じたが朝までゆっくり眠ることができました。やっと通常のルーティーンをこなすことで気持ちが落ち着きます。

よく利用するロイヤルホスト宮の森店は、11日火曜日から営業を開始できるようなので、本日は近所のスターバックスで仕事を開始しました。

こんなときだからこそわかる本質

家族の安全とライフラインの確保。これが、何よりも大切でした。制作中のWebサイトもいくつかありますが命あっての仕事。

まずは不安なく生活できる環境で暮らすことが最優先。宮の森エリアはしっかりしているイメージですが、やはりマンションは停電時に水も使えなくなるなど弱さがはっきり出ました。そして戸建ての安心さは、上層階で暮らす私にとって考え深いものでした。

これまでにも東日本大震災など様々な災害を見ているのに、どこか『自分だけは大丈夫だろう』という根拠のない自信があったのでしょう。おそらく経験した人にしかわからないのかもしれませんが、防災に対する考え方は一気に変わったと思います。

いきなり一戸建てを買ったり、防災時に役に立つ装備をすべて揃えることは出来ませんが、断水に備えてポリタンクに水を用意しておくことや、高いところにものは置かないなどすぐにできることは、後回しにせず実践していくようにしたいと思います。

車もすぐに買い換えることは出来ませんが、三菱のアウトランダーは今回の地震で非常に注目されているようです。

できることから防災に備えて置くことをオススメします。

ヤマダソウイチロウ

ヤマダソウイチロウ・1975年3月7日生まれA型、現在49歳。映像制作を中心に、クリエイティブな活動しています。詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。

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Soichiro Yamada