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時間と場所にとらわれない生き方・働き方をコンセプトに、おすすめできるモノ・コトを発信するブログ

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プロフィール

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ヤマダソウイチロウ・1975年3月7日生まれ・A型・魚座・卯・札幌生まれ生粋の道産子。安平町でクリエイティブ作業を中心にフリーランスとして活動しています。

学歴

大谷幼稚園 → 曙小学校 → 発寒小学校 → 豊水小学校 → 発寒中学校 → 東海大四高校 → 宮島学園北海道調理師専門学校

これまでの足あと

1975年3月7日、札幌市中央区で生まれる。

1980年、幼稚園は東本願寺内にある大谷幼稚園に通う。

1981年、曙小学校に入学し、2年生の3学期に発寒小学校転校。翌年、3年生の1学期に両親の離婚で豊水小学校へ転校し、卒業まで通う。

1987年、親が発寒に家を立てたので、中学は再び西区に戻り発寒中学校へ入学。サッカー部に入り毎日部活に明け暮れてた生活を送る。

1990年、高校は地元の私立東海大四高校(東海大札幌)へ入り、サッカー部に入るが、1年生の途中で辞めてしまい、バイトに明け暮れる生活に。バイト先は『シェーキーズ』というピザ専門店で、場所は狸小路という札幌中心部にあるアーケード街で働いていた。ここで飲食の路に興味を持ち、いずれは自分の店を出したいという夢を持つようになり、調理師専門学校へ通うことになる。

1993年、宮島学園北海道調理師専門学校へ入学し2年間通った。調理実習で現場を経験するうちに、思い描いていた理想とはかけ離れていたため、ホテルやレストランには就職せず、クリエイティブの道を考えるようになる。もう少し大きな視点で「ものづくり」に興味をもったのが一番の理由だと今では思う。

1995年、最初に始めたのは家具作り。家具作りといっても、ゼロから作るのではなく、捨てられている家具のリメイクにフォーカスしてみた。特にソファーを中心に制作した。座面が破けたソファーや壊れてしまったソファーを修理してクリーニングし、生地を張り替えて新しい状態に生まれ変わったソファーを販売していた。当時はモノを消費する時代だったので、モノを大切に使い続けるという考え方は、古臭い考え方で、周りからは変わったことするなと思われていた。

そんな生活をしている時、友人がパソコンを買ったということで遊びに行くと、富士通のデスクトップがあった。モニターはブラウン管の15インチで、記録メディアはフロッピーディスクという、今では考えられない低スペックのマシンだったが、その時代にとっては高価な品物だった。友人がそのパソコンでお絵かきソフトの『Gcrew』を使って制作したフライヤーを見せてもらった。そこには文字が大きく装飾されて、キャッチコピー的な内容と簡単な文章や写真といった内容だったが、モノづくりが好きだった私にはとても衝撃的だった事を覚えている。

新しモノ好きの私はすぐにパソコンを購入。お絵かきソフトの『Gcrew』でチラシを作ったり、エクセルでグラフを作ったりと、とにかくなんでも挑戦してみた。その頃のインターネットは『ISDN』という回線で、普通に電話をかける方式でインターネットに接続していた。そのため毎日使用すると高額になるので、夜になると使える『テレホーダイ』という定額の料金で楽しめるプランがあったので、夜中まで夢中になって利用していた。。。

2000年3月、そんな生活を続けていくうちに『パソコンで商売にしたい!』と考えるようになる。デザイン会社でもなく、その手のビジネスは全くわからなかったので、自分で出来る事といったらパソコンの設定や操作方法の指導だった。そこで、出張パソコン教室とパソコンサポートといった、2本柱で商売を初めてみることにした。当時はまだSNSなどもなく、宣伝方法といえばチラシ配りや電話帳への掲載。年配の方へターゲットを絞ったのが正解し、順調に売上を伸ばすことができた。

2002年10月、ようやく軌道に乗り、売り上げ的にも安定してきたので、次のステップであるデザイン部門に挑戦することに。グラフィックデザイン事務所『FUTURE LAB』を設立。映像制作を始めCM制作・Webデザイン・広告デザイン・パフォーマンスなど多彩な活動を行う。

2003年7月、インタークロスクリエイティブセンターに入居後、『ライジングサンロックフェスティバル』を始め、地元ラジオ局であるFMノースウェーブの音楽イベントに映像スタッフとして参加する。この頃は過酷な労働していたが、楽しさのほうが上回り、寝ないで制作する日々が続いていた。同時に調理への思いも消えてはなく、少しずつお店をできたらいいなと考え始めていた時期でもあった。

2006年1月、ある日、父親から「スープカレー店をやりたいので手伝ってほしい」という相談があり、子供の頃からの夢であった飲食経営に挑戦。調理の技術はあったが、飲食経営は初めてだったが、独学で8ヶ月間のレシピ研究、内装は全て手作りで、スープカレー店『LEGON(レゴン)』の地元札幌の西区に開業。 着実にファンを増やし、地元テレビ局が主催する『カレー博覧会』の出店を始め、『スープカレー横丁』の出店を果たす。

2010年5月、カレー店経営を通して飲食業界に身を置く中、IT業界の目まぐるしい発展についていけていない自分に焦りを感じ始める。クリエイティブ業に専念したいという気持ちも強くなり、代表取締役を退任し経営から退く。ゼロからの出発。

2010年6月、昔から憧れていた湘南へ移す決意をする。同時に時間と場所にとらわれない生き方を意識始めたのはこの頃から。今でこそ、インターネット普及で印刷物や映像制作は、場所にとらわれることなく、どこでも作業することは可能だが、当時は、直接クライアントに見てもらうのが一般的だった。それを脱却するには、最も技術的に得意だったWeb制作のみに絞ることに。Webクリエイターとして新たな一歩を踏み出す決意をする。

2011年3月、移住先は藤沢市の辻堂に決まる。現地で賃貸契約も済ませ札幌へ戻った翌日、2011年3月11日に東日本大震災が起こってしまう。悩んだ末、今の状況では新天地で暮らしていくことが困難と考え、移住を断念。しばらくは札幌での生活を続けることに。

2014年2月、フリーランスとしてコツコツを送っていた人生の中、遂に結婚をすることになり家族ができる。一人を楽しむことしか考えていなかった生き方だったが、これから妻と二人で共有していこうと思う。湘南移住の気持ちも一旦お休みに。

2016年3月、生活の拠点を札幌の発寒から宮の森へ。すぐ目の前には北海道神宮、円山公園、円山動物園など、山と都心の風景が見える環境の良い場所で自宅件事務所として生活を開始する。

2018年7月、YouTubeチャンネル『カレーライフ』を開始。Web制作を専門的にやってきたが、YouTubeの可能性を考えるようになり、映像制作の道を復活させること決断する。企画・撮影・編集・公開までを全て行うことができる時代になったのが大きな理由。

2021年5月、生活の拠点を安平町へ。40年以上住んでいた札幌から、胆振地方にある人口7000人程度の街、安平町へ引っ越し。きっかけは、コロナになり様々な自由が制限されたため。じっとしていても、何も始まらないという気持ちから、夫婦で田舎暮らしに挑戦してみようというとこになり、湘南ではなく安平町へ移住することになる。